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人生朝露

人生朝露

ハイデガーと荘子 その4。

やっと暇アリ。

悪かったわね!
荘子です。

さて、今回も「荘子とハイデガー」について。ハイデガーの発見のほとんどが「荘子」からのパクリである・・というのは、

『存在と時間』と『茶の本』。
『存在と時間』と、『茶の本』との対比によって、もう少し踏み込めるかなと思います。

岡倉天心。
『茶の本』というのは、岡倉天心が書いた日本文化の紹介本の中でも有名な書物の一つですよね。非常に簡明に書かれておりまして、現在でも日本だけでなく、海外でも読み継がれている名著です。茶は当然のごとく東洋由来のものであり、多くの世界史的なキーワードともなるだけでなく、西洋の生活の中にも溶け込んでいるので、東洋と西洋を考える上でも、親しみやすいものですよね。

>『茶の原理は普通の意味でいう単なる審美主義ではない。というのは、倫理、宗教と合して、天人に関するわれわれのいっさいの見解を表わしているものであるから。それは衛生学である、清潔をきびしく説くから。それは経済学である、というのは、複雑なぜいたくというよりもむしろ単純のうちに慰安を教えるから。それは精神幾何学である、なんとなれば、宇宙に対するわれわれの比例感を定義するから。それはあらゆるこの道の信者を趣味上の貴族にして、東洋民主主義の真精神を表わしている。』
>『日本が長い間世界から孤立していたのは、自省をする一助となって茶道の発達に非常に好都合であった。われらの住居、習慣、衣食、陶漆器、絵画等――文学でさえも――すべてその影響をこうむっている。いやしくも日本の文化を研究せんとする者は、この影響の存在を無視することはできない。』
>『おのれに存する偉大なるものの小を感ずることのできない人は、他人に存する小なるものの偉大を見のがしがちである。一般の西洋人は、茶の湯を見て、東洋の珍奇、稚気をなしている千百の奇癖のまたの例に過ぎないと思って、袖の下で笑っているであろう。西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見なしていたものである。しかるに満州の戦場に大々的殺戮を行ない始めてから文明国と呼んでいる。近ごろ武士道――わが兵士に喜び勇んで身を捨てさせる死の術――について盛んに論評されてきた。しかし茶道にはほとんど注意がひかれていない。この道はわが生の術を多く説いているものであるが。もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。われわれはわが芸術および理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう。』

武士道。
新渡戸稲造の『武士道 BUSHIDO The Soul of Japan (1900)』や、

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内村鑑三の『代表的日本人 Japan and the Japanese (1894)』

など、西洋の武士道ブームが起きているころに、岡倉天心はその流れを意識しながら、東洋の内的世界、とりわけ、茶道に関わる美術や建築、工芸とその底に流れる透徹とした哲学について発信したわけです。

>『いつになったら西洋は東洋を理解するのか。西洋の特徴はいかに理性的に「自慢」するかであり、日本の特徴は「内省」によるものである。茶は衛生学であって経済学である。茶はもともと「生の術」であって、「変装した道教」である。宗教においては未来はわれわれのうしろにあり、芸術においては現在が永遠になる。』

冒頭で天心は、はっきりと、茶道とは「変装した道教」であるということを書いています。新渡戸稲造や内村鑑三がクリスチャンであったのに比べて、岡倉天心は曹洞宗なもんだから、もっと深い世界まで見せちゃっています。そして、東洋の思想は決して西洋に劣るものではない、むしろ一面においては西洋の思想は東洋に及ばないということを主張しているわけです。

・・・もし、西洋で東洋の思想ををパクろうとするならば、これほど格好な素材はないんです。東洋の側から「西洋と違う」と言ってきている部分を抜き出すだけでいいから(笑)。

天心は老荘思想における『道』の概念の説明も丁寧にやってます。

>『「道」は文字どおりの意味は「径路」である。それは the Way(行路)、the Absolute(絶対)、the Law(法則)、Nature(自然)、Supreme Reason(至理)、the Mode(方式)、等いろいろに訳されている。こういう訳も誤りではない。というのは道教徒のこの言葉の用法は、問題にしている話題いかんによって異なっているから。老子みずからこれについて次のように言っている。
>物有り混成し、天地に先だって生ず。寂(せき)たり寥(りょう)たり。独立して改めず。周行して殆(あやう)からず。もって天下の母となすべし。吾(われ)その名を知らず。これを字(あざな)して道という。強(し)いてこれが名をなして大という。大を逝(せい)といい、逝を遠といい、遠を反という。
>「道」は「径路」というよりもむしろ通路にある。宇宙変遷の精神、すなわち新しい形を生み出そうとして絶えずめぐり来る永遠の成長である。「道」は道教徒の愛する象徴竜(りゅう)のごとくにすでに反(かえ)り、雲のごとく巻ききたっては解け去る。「道」は大推移とも言うことができよう。主観的に言えば宇宙の気であって、その絶対は相対的なものである。』(『茶の本』第三章 道教と禅道より)。

・・・ちなみに、この前ハイデガーのカッセルの講演読んだんですが、ハイデガーが板書した、
ハイデガーが黒板に書いた図形。
これって、

太極図です。
これと、

周氏太極図。
これ、じゃないですかね?(泣)

ハイデガー 木田元編。
もう一度、「ハイデガー (知の攻略思想読本)」木田元編から、ハイデガーの造語について見てみると、

Heidegger!
「存在了解」:前学問的なレベルで人間なら誰でも持っている存在についての了解のこと。われわれは一定の了解にもとづいてそのつど「ある」とか「ない」とか「あるだろう」とか「ないだろう」といった表現を使っており、その意味を理解している。こうした了解はいまだ曖昧な概念以前の了解であり、前存在論的了解と呼ばれている。


Zhuangzi
『卮言日出、和以天倪、因以曼衍、所以窮年。不言則齊、齊與言不齊、言與齊不齊也、故曰無言。言無言、終身言、未嘗言。終身不言、未嘗不言。有自也而可、有自也而不可。有自也而然、有自也而不然。惡乎然?然於然。惡乎不然?不然於不然。惡乎可?可於可。惡乎不可?不可於不可。物固有所然、物固有所可、無物不然、無物不可。』(「荘子」寓言 第二十七)
→日々口をついて出てくる卮言は、天の有様と調和し、しがらみのない世界に身をおいて、命を全うするためのものだ。「同じものだ」、「違うものだ」という言葉にとらわれた論争そのものが、天のもたらす有様とかけ離れていく。だから、かつての至人といわれる人は、是非の判断を決め付けたりしなかった。この世の有様は、是非の論理に囚われていては、一生しゃべり続けても説明できるものではなく、たとえ、しゃべらなくとも(言葉で物を考えている以上は)、結果は同じことだ。人間の視点に立って物事を考えるのに、「良いもの」「悪いもの」「これはこうだ(然り)と思うもの」「これはこうではない(然らざる)と思うもの」と決めつけて考えたがるが、何を以って「良い」「悪い」「こうだ」「こうではない」と考えているのか?

・・・これは、『茶の本』にも登場する

>禅は梵語の禅那(Dhyana)から出た名であってその意味は静慮である。精進静慮することによって、自性了解の極致に達することができると禅は主張する。

この「自性了解(じしょうりょうげ)」かなと。
ま、いわゆる無為自然の境地に至った人の世界です。禅宗と同じく老荘思想の影響をうけた浄土宗では「自然法爾(じねんほうに)」という言葉があります。他力と自力に違いはありますが。

親鸞曰く、
親鸞聖人。
自然法爾の事。
「自然」といふは、「自」はおのづからといふ、行者のはからひにあらず。「然」といふは、しからしむといふことばなり。しからしむといふは、行者のはからひにあらず、如来のちかひにてあるがゆゑに法爾といふ。「法爾」といふは、この如来の御ちかひなるがゆゑに、しからしむるを法爾といふなり。法爾は、この御ちかひなりけるゆゑに、およそ行者のはからひのなきをもつて、この法の徳のゆゑにしからしむといふなり。すべて、ひとのはじめてはからはざるなり。このゆゑに義なきを義とすとしるべしとなり。「自然」といふは、もとよりしからしむるといふことばなり。

参照:宗教を考える100の質問:52 Q.52 「自然法爾」とはどういう意味ですか?
http://www2.big.or.jp/~yba/Real/q52.html

自然とはすなわち「自ずから然り」なわけでして、悟ってしまうと、外的世界は自ずから「然り」となるわけです。そういう一面はあると思います。ハイデガーのいうところの「存在了解」ってそういうことでしょ?

禅宗も浄土宗も中国化した仏教ですから方向性は違っていても(浄土宗は老子的、禅宗は荘子的)似ている点があります。両方とも戒律も輪廻転生も緩い緩い(泣)。これは、ま、いずれ。

Zhuangzi
「古之人、其知有所至矣。惡乎至?有以為未始有物者、至矣盡矣、不可以加矣。其次以為有物矣、而未始有封也。其次以為有封焉、而未始有是非也。是非之彰也、道之所以虧也。道之所以虧、愛之所以成。果且有成與虧乎哉?果且無成與虧乎哉?」(『荘子』斉物論 第二)
→昔の人の知恵は行き着くところまで行ったものがある。どこにまで至ったのか?最初から存在などない「無」であり、至れり尽くせり、なにものを加えることもできない境地に達していた。それに次ぐ知恵は、物が存在するとしながらも、それを人間の知のはたらきの枠にはめることはできないとした。さらに、それに次ぐ知恵は、物は人間の知のはたらきの枠にはめることができるとしながらも、そこに是非の判断を加えない境地にあった。是非の判断が入ると、道(tao)は破壊されていき、道が破壊されていくところから愛憎の情念が湧き上がる。果たして、道に完成や破壊というのがあるのか?完成も破壊もないのか?

今日はこの辺で。


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